◆ JR平城山駅と抒情歌 【e57】
 

平成25年3月3日

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 ● JR平城山駅と抒情歌「平城山」

 JR平城山駅をご存知でしょか。
000.JPG関西本線(大和路線)、奈良線、片町線(学研都市線)の駅で「ならやま」と読みます。駅の東側には広い車両基地・奈良支所(旧奈良電車区)があります。

この沿線を電車で通るたびに思い出される抒情歌「平城山」は北見志保子作詞、平井康三郎作曲である。
 人恋ふは かなしきものと 平城山(ならやま)に
 もとほり来つつ(さまよっても)  堪へがたかりき
 古(いにし)へも 夫(つま)に恋ひつつ 越へしとふ
 平城山のみちに   涙おとしぬ

 作詞者の北見志保子は 歌人・橋田東声と大正2年結婚するが12歳年下の東声の弟子・浜忠次郎と恋に落ちます。しかし浜忠次郎は志保子から引き離され、フランスに留学させられてしまう。
 傷心の志保子は奈良の「磐之媛命陵(いわのひめみことりょう)・・・・平城山駅の南」周辺をさまよった頃に「人を恋い慕う どうにもならない悲しさは、平城山あたりを廻り歩いて堪えがたかった」と語る。志保子は浜忠次郎への思いを磐之媛命の心に重ねて詠んだのでしょうか。

 その後、橋田東声と離婚した志保子は浜忠次郎(後の千代田生命社長)と帰国後大正13年に再婚することになる。  志保子没年・昭和30年(1955年)70歳

 「磐之媛命陵」は仁徳天皇(16代)の皇后陵で、磐之媛命は天皇が新たに八田皇女を妃に迎えようとしているのを知り(嫉妬心?)難波高津宮から山城筒城宮に移り住む。磐之媛命の心揺れる歌のひとつに「君(天皇)が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」との恋歌が万葉集にある。ちなみに履中天皇(17代)、反正天皇(18代)、允恭天皇(19代)の母でもある。

 作曲者の平井康三郎は、「とんぼのめがね」、「ゆりかご」、「スキー・・・・山はしろがね 朝日を浴びて」、「ひな祭り・・・・赤いもうせんしきつめて」等、 良く知られた楽曲・童謡を数多く作曲しています。

 唱歌・平城山 唱・カラオケ
  http://www.youtube.com/watch?v=CNLDxLVeIFQ

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