◆ 大阪日本橋・・・・昭和も遠く 【e66】


平成25年8月末日

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 ● 昭和初めの老舗の家電専門店が廃業しました

 大阪日本橋の喜多商店が平成25年8月20日閉店しました。「来た、見た、買うた」の一時、関西でのTVコマーシャルで有名な昭和4年創業の老舗の家電専門店です。突然の閉店には少なからず驚きました。

 中学生の頃はアマチュア無線に没頭、今は亡き友人に教えられてラジオ、無線機の製作にパーツを買いに日本橋で始めて訪れたのがこの店でした。 阿部野橋(天王寺)から動物園前、霞町、恵比寿町、日本橋と大阪の市電に始めての乗車、車掌さんが前に大きな黒い鞄を下げて車内で切符を売っていました。「チンチン」車内の天井にある紐を引いて運転手に合図をします。

 その頃の店には土間が有り、奥にパーツの入れた箱が並び、先代の物腰の良いおじさん、そして少し怖そうなおばさん(後年の印象)が営業していた記憶が有ります。その後は電化製品が主力商品になり、先代が亡き後は娘さんが後を継がれ親しくさせて頂きました。

 この店で多くの電化製品も買わせて頂きました。娘の家電製品、最近は大型の液晶TV、エアコン等。しかし平成の時代になると郊外に大型チェーン店が次々開業、営業も苦しかったようです。平成3年の売上高は新聞報道によれば約23億円が平成24年には約10億3千万に落ちたという。

 日本橋はかつて電気製品の街として電化製品から電気工事材料、オーディオ、無線機のパーツ等を扱う店が数多く並んでいました。その後パーツの二ノ宮無線、中川無線、等多くの店が閉店、現在大型店では上新電機だけが残っているようです。その他にパーツ専門店も多く有りました、真空管、米軍払い下げの無線機、ジャンク品、中古品、若い頃の日本橋界隈は夢のような街で掘り出し物がないかと良く歩き周りました。

 後年、半導体の時代になってから反対に娘からパソコンのパーツ、周辺機器の販売店があちらこちらのビルの一室で営業しているのを教えられ一緒に尋ね歩いた時には驚きました。それから段々大型の店が台頭(目立ち始める)してきました。この時から少しずつ日本橋も変化して行ったようです。従来の堺筋の電気街でんでんタウン、その西側の通りにゲームやフィギアを初めとするオタクの街(オタクロード)になって来ました、もう目移りして、恥ずかしくて歩けません。

 西日本を代表する電気街としては、だんだんと寂しくなります
 時代も平成に替わり昭和も歴史の中に埋もれていきました・・・・
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