エッセイ・・・オモイツクママ





   ◆ 酒君塚公園(古墳) 【e98】


August 4, 2020 UP
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  A 【郷土の歴史】酒君塚公園(古墳)

 大阪東住吉区の駒川商店街の鷹合南通りから信号を渡って南に160m、酒君塚公園(さけきみつか)が、公園の北東角には交番(東住吉警察・鷹合交番)があります。(近鉄南大阪線・針中野駅)

 この酒君塚公園は駒川水系の上流付近にあり、古墳と見られ発掘調査では円筒埴輪が出土し、築造時期は四世紀末と推定された。この一帯には多くの古墳(田辺古墳群)が存在したことが判明しており、なかでも最も古い古墳でないかと見られている。

 江戸時代には古墳は上部が削られ低くなっていた為、盛り土をして墳丘状にしたもので明治34年(1901年)頂上に大きな石碑(酒君塚)が建てられています。
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 この墳丘墓(酒君塚)は江戸幕府により享保20年(1735年)に編纂された『五機内誌』の内「摂津誌」において「住吉郡鷹飼部第宅の古墳、鷹合村にあり。また、鷹甘部の墓(酒君の墓?)あり、今平塚と称す」とある。
(現・東住吉区鷹合2丁目  第宅とは邸宅、屋敷の事)

 鷹合の由来は、日本書紀・仁徳天皇43年の条に、河内国の依網屯倉(よさみのみやけ・・・大和朝廷の直轄地)の阿弭古(あびこ)が捕らえた鷹を仁徳天皇に献上したところ、天皇はこれを百済からの渡来人の酒君(さけきみ)に飼育させた。そして鷹甘部(たかかいべ…古代日本の職業部)を定め、鷹を飼うこの地を鷹甘邑(たかかいむら)と名づけたとある。これにちなんで鷹飼村、鷹合村と称されるようになったと思われます。


(参 考)
 初 代 神武天皇(西暦BC660年) 第10代 崇神天皇(西暦BC97年)
 第11代 垂仁天皇(西暦BC29年) 第15代 応神天皇(西暦270年)
 第16代 仁徳天皇(西暦313年)
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