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  ◆ 嵐山・奥嵯峨野【104】
       

平成21年11月10日(火)
ハイク登山 エッセイ 旅行日記 短編小説 詩(poem) スキー紀行 写  真
 秋の嵐山・奥嵯峨野を近所のご夫婦4組と11人で散策して来ました

 晩秋の嵐山から奥嵯峨野に常寂光寺、落柿舎と北に平家物語に登場する祇王寺、そして建礼門院の女官、横笛との悲恋物語の滝口寺を尋ねてきました。  嵐山は大阪から阪急電車、京都線桂駅で嵐山線に乗り換え終着駅です。普通はこの駅前から右に中ノ島公園を通って渡月橋に向かいます。私たちは左に法輪寺に歩きました。ここの境内は無料で紅葉を楽しめます。高台にあってここから大堰川、これに架かる渡月橋が見渡せます。 001.JPG 
次に大堰川に架かる渡月橋を渡り川沿いを歩く。川面に映る紅葉、屋形002.JPG船やがて小倉百人一首の殿堂時雨殿の前を通り宝厳院に。

 宝厳院は、天龍寺の塔頭寺院のひとつである。此処で室町時代の庭園「獅子吼の庭」を004.JPG>散策、嵐山を借景に回遊式庭園である。獅子吼とは「仏が説法する」と005.JPGいう事で庭園を散策することで無言の説法を授かり、心癒されるのである。
門前には多くの羅漢像が立ち並ぶ「嵐山羅漢」と言う。

 丁度お昼になったので天竜寺近くの京味采彩「安寿」で食事をする事にした。午後は二組に別れ美空ひばり座に行くものと奥嵯峨野を散策する者とに分かれる。 006.JPG
 我々は嵯峨野の竹林の中を通りトロッコ嵐山駅、常寂光寺そして落柿舎と北に歩く。多くの観光客が狭い道を歩007.JPGく、その中を人力車やタクシーが走る。

 落柿舎の前の道では客を乗せた人力車が走る。大変な賑わいである。 次に二尊院の前を通り祇王子に此処まで来れば人の流れも少なくなる。店の前の路端で山椒の佃煮 柚子を売っている。柚子を一箱、急に背中のリュックが重くなる。ジャムを作るのだという。

 祇王子(尼寺)は平家物語に出てくる平清盛と祇王、祇女の悲しい008.JPG物語の地である。最初は清盛の寵愛を受けるが仏御前と言う女性が現れ、清盛はこの仏御前に心を移す。
「萌え出づるも 枯るるもおなじ 野辺の草 いづれか秋に あわではつべき」と歌を残して、寂しく館を出たまだ若い祇王、祇女の姉妹とその母、三人は仏門に入り、今ある祇王寺の地に世を捨てた。 祇王21歳、妹の祇女19歳、その後に寵愛を受けた仏御前も無常を感じて祇王のあとを追って剃髪して祇王寺の仏門に入ったのが17歳。
 この苔むした庵の前に立つと若くして仏門に入った彼女たちにこの時代の儚さを感じます。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。・・・・・」平家物語の巻頭である。

 祇王寺の横を緩やかな石段を上り詰めた奥にひっそりとした滝口寺009.JPGがある。そして、ここにも悲恋物語がある。寺の裏手は小倉山と言い藤原定家の時雨亭があった。 重盛の侍であった滝口は建礼門院の女官、横笛に恋をする。しかし二人は身分の違いから父、時頼に反対され滝口は奥嵯峨にある往生院(現、滝口寺)に出家をする。これを聞いた横笛は往生院に滝口入道を訪ねるが会うことが出来ず、「山深み思い入りぬる柴の戸のまことの道に我を導け」と書き残して泣く泣く帰るのであった。その後に横笛も奈良の法華寺で尼になり短い生涯を終える。一方滝口入道は横笛を忘れる為、女人禁制の高野山で修行に励み後に高僧になったと言われる。 若い女の子が好んで訪れる寺である。本堂へ上がると後世に作られた滝口入道と横笛の木像が並べて祀られている。しばし此処に訪れた人達と会話をしながら思いに耽る
 嵯峨野には多くの由緒あるお寺がある、そして季節季節にまた違った顔を見せる。いつ歩いても新鮮さを感じるのは私だけでしょうか。

 待ち合わせの時間も近づいたのでここで引き返すことにした。二尊院前の食事処「こみち」で休憩。野宮神社の前を歩き、土産店の立ち並ぶメイン道路の京福嵐山駅前、そして美空ひばり座前を通り阪急嵐山駅に急ぐ。
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