今年初めての登山、曇っているが時々薄日も見られ、時折パラパラと雨も。天気が良くないので自動車で出かける事にして最初に甘樫の丘(148.1m)に登る。
駐車場に車を止めて登り始めるがいずれのルートも工事中で通行止め、唯一階段のある道が頂上に続く。
どんよりとした曇り空、周りの木々もモノトーンの世界。その中に散り往く白い梅の木、真っ赤に咲いた椿の花が眼を引く。 頂上の万葉展望台からの景色はまた素晴らしく左から畝傍山、耳成山、香具山と大和三山が見渡せる、遠くには二上山がくっきりと。桜の木もあり春には素晴らしい花と共に、いにしえの藤原京の栄華に思いを馳せる事が出来るでしょう。 「藤原京は、天武天皇の時代、飛鳥浄御原宮から持統天皇によって694年遷都された。藤原京は当初大和三山に囲まれた都と思われていましたが近年の発掘調査でそれ以上に広かったと思われています。今なお発掘が続けられ夢とロマンあふれる遺跡です。この後710年に都は平城京「奈良の都」に移されました。」
駐車場を出て信号を渡ると素早く農産物販売所「あすか夢の楽市」を見つける。 いつものごとく早速お買いあげ、5cmはあるかと思われる太い牛蒡やイチゴ、八朔みかん・・・ケーキまで。
次に今、眺望した香具山に向かう。国土地理院の表記は香久山となっています。 風土記に天から降ってきた山と言われ天の香具山とも言い、 三山の中で最も神聖視されています。
山の位置は二等辺三角に並んでいて、耳成山、畝傍山は死火山です。 万葉集に「香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相争ひき
神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき」
これは中大兄皇子と大海人皇子の兄弟が一人の女性をめぐっての三角関係、恋争いを詠った歌と言われている。 中大兄皇子は後の天智天皇、大海人皇子は後の天武天皇、そして女性は額田王である。香具山を(天智天皇)と耳成山を(天武天皇)として、畝傍山を(額田王)とするのが通説の様であるが、他にも解釈がある。 いずれにしても神代の時代から古代、現代と恋争いはあるんだな〜と思います。 県 道214号線を北上、道路沿いに小さな駐車場とトイレ設備があり、ここから香具山登山口になっている。鬱蒼とした万葉の森、頂上には展望も何もなく国常山神社が祀ってある。
「大和には 群山あれど とりよろふ 天香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は」
下 山はルートを間違え南側に、雨でぬかるんだ道、冷たい雨がパラパラと「イザ、遭難 ヘリコプター出動」「な〜に言ってんの、携帯のアンテナ三本立っているわ」娘たちと冗談を言いながら下山、天岩戸神社に降りた。
ここから更に北へ300mほど離れた所にある国立奈良文化財研究所に立ち寄り発掘品の展示を見学。5年前と展示のレイアウト、展示品が大きく変わっていた。役人の食事メニューの見本が展示されている。
庶民の食事は質素なもので玄米ご飯に汁物等、塩、これでは栄養失調になるだろう。下級役人はいわしの煮つけや野菜、酢の物、糟酒など。貴族になると豪華な食事で山海の珍味に果物もつく、これでは成人病になるだろうと妻と娘が喧々諤々、だから早死にするんだよねと。
ここでタイムオーバー、娘も旦那さんの夕飯の支度があるので耳成山、畝傍山は次の機会にと南阪奈道路で帰阪の途に着いた。
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