(大和三山めぐりのコースでは耳成山を歩いてから香久山に歩けばよいでしょう、また反対コースも良いと思います)
↑地図をクリック
国土地理院電子地形図(タイル)「橿原市」にリンク
●
歩行距離:約7.5km 歩行時間: 総時間:4時間20分
八木駅10時20分発のコミュニティバスに乗車木之本町バス停を10時50分、香具山登山口までは歩いても近くて駐車場、トイレもあります。
香久山には道標に従って坂道を登ると山道になり、ここから頂上まではほとんど階段状の道が続きます。大和三山の中では一番距離が短く危険は無い。
途中一箇所T字形の三叉路があり登って左に曲がります。写真の左向こう側から登ってくる
写真では右に山頂です。前回は妻と娘の3人で雨の中を傘を差していて下山時に標識を見おとして直進して天の岩戸神社に出ました。
やがて香久山、頂上の広場には国常立神社が奉ってあります。左に国常立神(国土を治める神)、右に高おかみ神(雨を司る龍神)の祠があります。日本書紀には始めて生まれた神様が国常立尊と記載されています。
「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天香具山」持統天皇が藤原の宮で詠んだ歌です
木々の間から畝傍山が見えます。ベンチもあり少し早いが昼食にします。しばらく遊んでから登ってきた道を降ります。孫はよく覚えていて標識のところを間違えずに曲がり無事に下山しました。
駐車場から北に300mほど歩くと奈良文化財研究所藤原宮跡資料室があり、そこの展示室を30分ほど見学。ここで歴史のお勉強をする。その後は本薬師寺跡から畝傍山駅まで(約2.4km)歩きます。
背後に香久山、右方向(北)には耳成山、目増すは畝傍山を正面に見て歩く。
藤原宮跡・耳成山 香久山を後ろに おや、田んぼの中に草に覆われた4mほどの小山が見えます。
早速頂上に立つと背後の「耳成山より高いね」と言うと「違うよ遠くにあるから小さく見えるんだよ」となかなかの知識。やがて飛鳥川を渡ると本薬師寺跡は近い。
ここで休憩、9月頃はこの一帯の休耕田に植えられた薄紫色のホテイアオイ(水草)が見事で近年、
観光地として脚光をあびています。
本薬師寺跡から畝傍御陵前駅は近いので、ここから帰宅予定でしたが孫が目の前の畝傍山に登ると言う。親と携帯電話で相談の結果登ることにした。
本薬師寺跡
若桜友苑と桜の木 瑞鶴の碑と殉国の碑
絆の錨
畝傍御陵前駅の反対側に出ると「若桜友苑」に入る。ここは畝傍山登山口の一つになっている。「じっちゃん、日の丸の旗があるよ」・・・・太平洋戦争末期、学徒動員で海軍飛行機搭乗員、海軍甲種飛行予科練習生の戦死した若い人の御霊を祀る慰霊碑、殉国の碑、瑞鶴の碑、絆の錨が設けられている。多くの桜の木が植えられており、桜の花もちらほらと咲き始めていた。
畝傍山には東大谷日女命神社横から山に登る。緩やかな登り道、
途中からは木の根根っこやゴロゴロと石が転がり足元は悪くて滑りやすい所もある、右は山肌、左は樹木の生い茂った谷で細い道が続く。大和三山では一番注意を要する山である。右に曲がると急な道がそして左に歩くとやがて頂上に着いた。
山頂には地図測量用の三等三角点(198.5m)が埋められている。
西に二上山、葛城山、金剛山脈がならび、反対側には耳成山が見える。
休憩していると賑やかな声が、4才位のお嬢さんを含む兄弟、おじいさん、おばあさん、母親、父親の団体さんが登ってきた。
今は春休みである、子供さんと二人連れ、シニアのご夫婦。孫も友達と出合ったように元気に遊ぶ。
下山も元気いっぱいである、歩く足が速いのでこちらの足元が及ばない。「じっちゃん、ここ大きな石、根っこがあるよ」と教えてくれる。
下山のとき一緒だった老夫婦ともわかれ、橿原神宮北神門から入る。
橿原神宮の主祭神は神武天皇である。神武天皇は日本の初代天皇で古事記、日本書紀に記載され日本の神話に登場する天皇である。
即位したのは西暦紀元前660年2月11日とされこの日が建国記念の日として現在祝日に制定されている。また神武天皇稜はここから北方の畝傍山北東の麓にある。いずれにしても神話の時代で種々諸説がある。拝殿前の休息所で最後のおやつタイム。拝殿の背後北西には畝傍山がそびえている。