●写真をクリックすると拡大します 奈良県葛城市の近鉄南大阪線・ 二上神社口から二上山(にじょうざん・ふたかみやま)に登山、そして竹内街道を大阪府太子町にハイキングをしてきました。 二上山は 雄岳(517m)と 雌岳(473.9m)がらくだのコブのように連なり、大阪、奈良からも美しい山容が万葉集にも多く詠まれています。 そして雄岳山頂には大津皇子(おおつのみこ)の墓が宮内庁により管理されています。また大阪府の太子町には「近つ飛鳥」と呼ばれ、推古天皇稜の他、聖徳太子の墓や一須賀古墳群等多くの歴史遺跡があります。
軽登山に人気のある山だけあって登山口も多くあります。 今回は奈良県側からは二上山駅よりは距離が短く少し急な道を歩きました。 二上神社口駅の改札を出ると西にほとんど一本道で迷う事はありません。 正面に二上山の雄岳が眼の前に、国道165号大和高田バイパスを渡ると二上神社、そして 二上山登山口で地道になります。
8時17分、イノシシよけの柵を開けて入ると、ここからはほとんどが階段の急な登り道が尾根まで続きます。35分歩くと尾根道に出て 二上山駅からの道と合流します。ベンチもあり一息入れます。 少し坂の急な道を歩くと鉄の階段があり、さらに進むと、やがて左に岩橋山が見えてきます。 石ころの道、階段状の道、右手に石垣が見えてやっと雄岳です。右に少し入ると悲劇の死を遂げた天武天皇皇子大津皇子の二上山墓です、ピンクの牡丹桜の花が綺麗でした。 その先に葛城坐二上神社(かつらぎにいますふたかみじんじゃ)そして以前には無かった雄岳山頂の札が立っていました。9時27分、ここには測量用三角点はありません。 次に雌岳を目指します。急な下りで昔は岩がゴロゴロして歩き難かったが、木の階段が設置されています。下りきると馬の瀬になっており、正面を登ると雌岳山頂で、 ここには休憩用ベンチもあります。右に下ると 穴虫峠に、ダイヤモンドトレール北の起点で、更に歩くと 屯鶴峯に至る。左に急坂を下りると 祐泉寺に出ます。緩やかな階段を登りきると雌岳頂上です。雌岳には大きな石の日時計があり、その前に国土地理院の三等三角点(点名:女岳 標高473.9m)があります。
日時計と三等三角点 今日23日、山頂には幟(のぼり)がたくさん立っています。「岳のぼり」という行事で二上山麓の太子町(大阪府)、当麻町(奈良県葛城市)、香芝市が中心となって行っています。昔からの行事で毎年4月23日に家族揃ってお弁当と幟を持って二上山に山遊びに出かけ草花を摘んだりワラビを探して一日を楽しみます。その幟は雄岳山頂の水を支配する神様「権現さま」に奉納、田植えの雨を祈り、「岳の権現さんのぼりが好きよ、のぼり持って
こい雨降らそ」という里唄があるそうです。 10時15分、下山コースをとります。桜並木のゆるやかな道があるのですが花はもう散っています。 遠まわりの遊歩道を避けて左横にある急坂の階段が続く道を10分ほど降ります、登りは大変でしょうね。女性の単独ハイカーに一人だけすれ違いました。
麓から子供の声がします道に合流すると多くの小学生、1年生を先頭に6年生まで並んで登ってきます先生方が道を譲らせるのに大変です・・・・「お早うございます」。
10時34分 岩屋峠です、まっすぐ進むと竹内峠に出ます。左に祐泉寺から當麻寺方面に。少しわかりにくいです、地図を見ながら迷っている二人連れにも会いましたが多くの人も歩いています。ここは右に岩屋に歩きます。やがて奈良時代の石窟寺院址の岩屋に出ました。伝説では中将姫がここ岩屋で當麻寺の本尊(本堂)、當麻曼荼羅原本(国宝)を蓮の糸で一夜にして織ったといわれています。
岩屋の前には岩屋の千年杉と言われていた大木が横たわっています。これは平成10年の台風で倒れて、記念にそのまま残されています。その手前を右に下山するとすぐに舗装した道に出ます。ここから急な舗装された坂道を下ると 二上山万葉の森から
国道166号線( 竹内街道)に出ました。駐車場があり今日の「岳のぼり」の人々でしょうか、多くの自動車が駐車しています。ここ太子町の受付で二上山登山の参加賞を頂きました。 ここから竹内街道を太子町にハイキング。竹内街道は推古天皇の時代に「難波より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)として日本書紀に記されている日本最古の官道です。 太子町(大阪)方面にはほとんど緩やかな下りの坂道です。 しばらく国道(竹内街道)沿いを歩くと道の駅・近つ飛鳥の里に・・・ここでトイレ休憩。 11時18分、国道を離れて旧竹内街道に入ります。竹内街道歴史資料館に立ち寄ると「火曜日」は定休日でした。綺麗に舗装された道をやがて左に文化財大道(旧山本)家住宅、六枚橋から近鉄南大阪線 上ノ太子駅に到着。
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