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◆屯鶴峯〜二上山【244】

ハイク登山 エッセイ 旅行日記 短編小説 詩・短歌 スキー紀行 写  真
● 上ノ太子駅〜屯鶴峯〜二上山・雌山〜岩屋〜当麻寺駅  (2017.06.06)

 大阪と奈良の府県境に位置する二上山を大阪・太子町から雌岳山頂を越えて奈良・葛城市まで歩いてきました。(上ノ太子駅〜屯鶴峯〜二上山〜当麻寺駅)
 二上山は雄岳と雌岳からなる双耳峰で金剛山系の北部にあり、ここから金剛山地の稜線を縦走するダイヤモンドトレール(金剛葛城自然歩道)が大阪府によって整備されています。北の起点(終点)の屯鶴峯(どんづるぼう)からは二上山(雌岳)、竹内峠、岩橋山、大和葛城山、金剛山、紀見峠、岩湧山、槇尾山(西国33ヶ所札所)までの全長約45qのコースです。

 屯鶴峯(屯鶴坊)は戦後、大阪の小学校での定番の遠足コースで懐かしい。近鉄南大阪線の臨時駅(屯鶴峯駅)があって学生団体の電車が臨時停車した。上ノ太子駅と二上山駅の中間でこの間の路線距離は長い。(臨時駅は1974年廃駅)
 8:42
 久しぶりに上ノ太子駅から屯鶴峯に歩いて見ました。駅前から鉄道沿いに東に歩きます。踏切を渡ってすぐに鉄道沿いの細い道を左に見ながら歩きます、やがて府道703号・香芝太子線に合流します。直進してそのまま府道703号を歩くと自動車の通行が多く少し遠回りなりますが同じ所に合流します。
 
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 9:24
 やがて太子町から府県境の穴虫峠、奈良県香芝市に入り、駅から約3.1km、40分程度で左側に屯鶴峯の入口階段があります。右側の草むらの中にダイヤモンドトレール(以下ダイトレ)の石碑があります。起点と記され二上山まで2q、そして豊臣秀吉の千成ヒョウタンをデザイン化した大阪府旗のマークが彫られています。
 
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 002.JPG入口階段の左側には天然記念物「どんづる峯」として奈良県教育委員会の説明版があります。その昔二上山は活火山でその噴火の火山岩が水底に沈積して凝灰岩層となり、その隆起と風化水蝕により奇岩・奇勝となったものとあると書かれている。昔と変わらぬ風景、青空に白い岩が見事に広がっています。

 岩石の間を歩くが「シニア」にとっては若いころと違って足元が及びつかない、白い石の上に砂が散らばって滑りそうでロープもなく道も不明瞭で自由に凝灰岩の上を歩く事になる。真っ白な凝灰岩の層が波打ち際のように見える奇勝です。
 
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 今回はこの屯鶴峯に寄り道してから二上山の雌岳(473.9m)山頂までダイトレを歩きその後、當麻寺(葛城市)に下山しました。

 登山道の入口にはダイトレ始点のどんづる峯からは府道を上ノ太子側に約680m戻ります。穴虫峠(下を近鉄線が走る)から少し歩いた左手にあります。(旧ダイトレはどんづる峰からすぐ府道を渡り砕石場方面に歩きました…したがって現在は標石の二上山まで2qはもう少し距離は長くなります。)
 
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005.JPG 10時00分
 ここから二上山へは5〜6カ所の小さなピークがあり丸太階段の登りと下りが繰り返しながら高度を上げていきます。
 最初の高圧送電鉄塔までは結構急な上り下り、約30分で最初のダイトレ標柱、休憩する間もなく先に歩く。10時40分に銀色の送電鉄塔に到着。

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 途中小休憩を入れながら二本目のダイトレ標柱、そして11時17分 緑色の送電鉄塔を通過しました。
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008.JPG  その後約2分で樹の上に左への分岐、旧ダイトレに入り馬の背方面とある。ここは直進して丸太の登り階段をめげずに歩きます。

 11時43分 
 やっとダイトレの標石のあるT字路、右に竹内峠、左に雌岳です。ササユリの花が出迎えてくれました。(時間表示は写真撮影時に記録された時間です)
 
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 丁度、写真を撮影している方と辺りのササユリを説明して頂きながら写真を撮る。5月末の金剛山では全く開花していなかったササユリ、今年は二上山で見る事が出来ました。
 
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 昼食は展望の良い広場でベンチに座って薄曇りでしたが眼下に河内平野の景色をを見ながら休憩しました。
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014.JPG 12時28分
そのあとは二上山・雌岳(473.9m)山頂(三等三角点 点名:女岳)に登り三角点をタッチ、写真のシャッターを押していただいた方と東側に広がる藤原京跡から大和三山、甘樫丘を遠望する。

 12時47分
 下り切った岩屋峠で休憩していると雌岳山頂でお話しした方に追いつかれました。このルートは初めてと言われたので中将姫伝説に関わる岩屋を紹介する。
 ここから右に20mほど下った所に天然の岩屋と言われる石窟寺院跡である。ここには嘗て寺があり今は廃寺になっているが結構広い。
 この石窟で中将姫が蓮の糸で一丈五尺(約4m四方)の曼荼羅を一夜で織ったという伝説がある。

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 中将姫は743年藤原豊成の娘として誕生、その後母を4歳の時亡くし、豊成が妻とした継母にいじめられる。美貌と才能に恵まれながらも現生では恵まれずに中将姫は17歳の時、仏門に入り當麻寺で尼となる。そして曼荼羅を織ることを決意し、この岩屋で織ったというのが當麻曼荼羅と言われ、現在當麻寺の国宝「本堂(曼陀羅堂)」にあるという。そして中将姫は29歳の時、西方浄土から阿弥陀如来を初め25菩薩が迎えに来られ西方浄土に向かったと伝えられている。 (この曼荼羅を現在分析した結果は絹で織られているそうです)

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 自分も久しぶりに岩屋まで歩いた。平成10年9月の台風で倒れた大木、高さ28m、周囲5.8m、岩屋の前にあり岩屋杉と呼ばれている。現在は切断されたまま残されている。

13時17分
 元の岩屋峠まで戻り聖徳太子が開いたという岩屋道(竹内街道の間道)、近道として江戸時代まで一般道として使われ松尾芭蕉も歩いたと言われている。この道を下山道として祐泉寺に歩く、約25分で祐泉寺に到着。
 ここからは舗装された道を傘堂、當麻寺を散策しながら当麻寺駅に到着したのは 14時40分でした。
 
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