● 淀の川 堤長うして 難波津の 治水を担う
毛馬の水門‥‥オモイツクママ 淀川と旧淀川(大川)との水量を調整する。太子橋今市から天満橋に歩く
梅雨のシーズンに先駆けて城北公園から淀川河川敷を大阪城北公園、淀川大堤に、ここから新淀川と別れて毛馬閘門に、市内の中心部を流れる大川(旧淀川)沿いの公園の遊歩道を天満橋まで歩いてきました。 天満橋駅まで約10.7kmの距離でした。(国土地理院地図より計測) 最初は初夏の花、花しょうぶで有名な城北公園の菖蒲園に歩きます。スタートは大阪地下鉄・谷町線
太子橋今市駅から国道1号線を少し歩き今市交差点から城北通りを西に20分ほど歩いて車道に面した城北公園です。(バスは大阪駅、天満橋駅、都島駅から「守口車庫前行」に乗車して城北公園駅前で下車します) 城北公園の上を淀川に南北に架かる菅原城北大橋が跨いでいます。公園の北東一角が菖蒲園です。毎年5月下旬〜6月中旬で、今年2019年は6月12日迄です。
城北菖蒲園は、昭和39年5月に開園した回遊式の菖蒲園で、面積約13,000平方メートルの敷地に、江戸系・肥後系・伊勢系の三系統の「花菖蒲」約250品種、約13,000株を栽培しています。 出典:大阪市ホームページ 「大阪みどりの百選」にも選ばれている。
次に淀川を毛馬閘門に歩く。城北公園の北側の淀川堤防に上がると、広い堤防うえにポツンと小さな社と石碑がある。 平和地蔵尊
爆撃犠牲者之精霊
千人塚…… 晴れた青空に白い雲がたなびく後方に見える斜張橋は「菅原城北大橋」です。 多くの人が手を合わせています、悲惨な昭和の戦争を潜り抜けた今、平成・令和の時代と平和で災害がない時代が何時までも続きますように‥‥
千人塚由来記要約 昭和20年(1945年)
6月7日、お昼前後、一時間半にわたって起こった大阪都島区を中心に大阪北東部を米爆撃機B29など409機が爆撃,公園や河川敷に逃げてきた人々に機銃掃射を浴びせ、多数の死者が出た。被害が及び、20万人近くが被災、死者2759人、重軽傷者6682人とされる。城北公園に避難していた近隣住民や近くの工場に勤労動員されていた女学生へ執拗にP51ムスタングの機銃掃射が襲い、被害が甚大だった。その内の身元不明者千数百人分を、淀川の河川敷で荼毘に付したとのことです。
千人塚碑文及び「大阪市内で戦争と平和を考える」有志
淀川の堤防から公園として整備された河川敷に下りて舗装された道を歩く。自転車で走る人も多く ランナーも見かける。淀川の河川敷は広い、ワンドが所々に広がる。 淀川の城北ワンドは有名で明治期の淀川の改修時期に造られたものである。ヨシが茂り野鳥が生息する、そこには水の流れがよどんで魚類などの水性生物が繁殖する場となっている。ここで日本固有種のイタセンパラの生息が確認され、希少生物(絶滅危惧IA類)で天然記念物に指定されている。この歩行ルートは木陰がなく夏は日差しが強い。
● 淀の川 ワンド(湾処)に映る 雲の峰 釣り人一人 初夏の葦原‥‥オモイツクママ (淀川河川敷・標高3.1m) 千人塚から25分、やがて「おおさか東線」の淀川橋梁(赤川鉄橋)の下を通ると、その先には淀川をまたぐ淀川大堤が見えます。 (通称・赤川鉄橋は戦前1929年
城東貨物線として複線で架設されたが当初は単線(城東貨物線)のみで使用して、もう一本の線路予定線を生活道路として使用し鉄道と道路併用橋として使用されていた。 2019年に旅客線「おおさか東線」の開通予定で2013年10月に複線化工事の為に80有余年の歩道橋部分は閉鎖された) さらに進んで25分、突き当りの毛馬閘門近くの堤防に上がると与謝蕪村の句碑と生誕地の碑がった。句碑には有名な「春風馬堤曲…与謝蕪村の俳詩」の中の『春風や 堤長うして 家遠し』の句が、蕪村の自筆で拡大して刻まれたものだそうです。
「なの花や 月は東に 日は西に」 「春の海 ひねもす(終日)のたり のたりかな」がすぐに思い出される。
ここから淀川を分流して流れる大川(旧淀川)に架設された毛馬閘門(毛馬こうもん)のゲート(歩行者、自転車のみ)を通って 閘門、 水門、 排水機場の三つの水門の上の遊歩道を歩いて大川を渡り淀川河川公園に歩きます。
この閘門は大川と淀川の水位差を調節して船を通すための水門で淀川から見て船舶にわかるよう閘門部分は煉瓦色に塗装、大きな白い文字で「毛馬こうもん」と書いてある。そしてその横の水門は淀川と大川の水量を調節し大阪市内への洪水、大川の維持用水の分流を目的とした重要な施設です。
毛馬排水機場:洪水の際に大川の水量・水位が上昇したり、高潮の際に安治川や木津川など下流の水門が閉鎖された場合にポンプにより新淀川へと排水を行なうための設備である。1981年(昭和56年)に設置された。普段は閘門の横にある径間7m×三連の水門を調節して下流に流れる水量を調節し、異常時に水門を閉鎖し、場合によりその西にある排水設備で排水するようになっている。
毛馬閘門は毛馬水門の東にあり、さらに東に予備の閘門があるが現在は使用されていない。排水機場と閘門の間の北側延長上に淀川大堰がある。出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年6月9日 (日) 08:38
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