エッセイ・・・オモイツクママ





 ◆ 硝子体切除と網膜剥離 【e102】


July 7, 2022 UP
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 ● 硝子体切除と網膜剥離(増殖硝子体網膜症)の入院体験記です。2011年

 突然の視力障害で硝子体切除と網膜剥離の手術における闘病生活の入院体験記です。この年齢になると加齢黄斑変性が疑われますが糖尿病もなく、網膜剥離でこんなに早くダメージを受けるとは思ってもいなかったのでショックでした。

 11年前(71歳)に手術で左眼視力をほとんど失い、現在はかすかに明るさを感じて、大きなものは識別(視覚障害)出来る程度です。これが災いして左眼の明るさが右眼の画像の上に重なり眼が重たい、鬱陶しいと常にストレスを感じています。はっきり見るには左眼を閉じて見ます。階段など段差は非常に不便で趣味の登山、下山時はストックが必要です。右眼の視力は矯正で0.7 普通の生活には不便を感じません。

 ここに至って体験記を書いたのは網膜剥離の恐ろしさに早期発見で如何に早く治療を受けられるかです。網膜剥離は早期治療が大事です。今回のように直ぐに病院に行ったのですが、治療・手術まで何か月も掛ったのは不幸でした。自分は不覚にも眼の治療に全く知識もなくうろうろするばかりでした。そして手術をすれば治癒するものとばっかり思って病院に任せたのですが結果は以下の通りでした。

 4/12(火)左目に異状
 左眼に障害が起きたのは突然で2011年の4月12日大和川の堤防で桜の写真を撮っていると左眼に痛みを感じ、帰宅後近所の眼科医院で見て貰うと加齢性黄斑変性の疑いありということでした。すぐに病院へと大阪市立大学医学部附属病院に紹介状を書いて頂きました。13日病院で診察して貰うと入院者が多く満室で入院検査は6月中旬予定になるとのことでした。

 一週間後、
 4/25(月)左眼が暗くなり失明、再び近所の眼科に行くと、大阪府立病院を紹介、連休の合間の 5/9(月)に診察の結果、5/11に再び市大病院に緊急予約、同日午前の受診で眼球の硝子体出血で直ぐに手術をした方が良いが予約で検査・処置が出来ないと。手配の結果西区の掖済会病院の手術室が夕方空いているからと紹介され電車で移動、何と市大病院の午前中診察の医師が来院頂き手術。 5/11〜5/14掖済会病院で通院治療します。
 治療計画は出血を取り除くための硝子体切除、眼科一般検査、主治医はF医師です。その後も出血は止まらず、この日から左眼は眼帯生活です。治療後14日まで通院、その後市大附属病院に通院します。26日市大病院でICG蛍光眼底造影検査を受ける。

 6/17 発症から二か月後、やっと市大病院に病室が空き入院。入院診療計画書によると病名:左硝子体出血、病状:左視力低下、推定入院期間:2週間、主治医:Y医師です。
 この日から7/31まで45日間の長い入院生活が始まりました。ここまでの急激な変化で走り回り何が起こっているのか理解出来ないままに日々が過ぎました。

 入院前日、眼科部長(教授)の診察、居並ぶ医師、研修医?の前で緊張する自分。しかし硝子体に出血で網膜の診察・検査が出来ないと患者の目前で先生方に叱責、びっくり、哀しくもなりました。
 結局、教授の診察は中止になり、この後他の医師での検査が行われました。
 不安の中に緊張の患者と教授の威厳。 この時、大学病院での入院は教育・研究が最優先である事を認識し治療に危惧を感じました。(この憂慮は的中しました)
 6/22(水)
 増殖性硝子体網膜症手術がおこなわれ、多くの医師・研修医?が取り囲んでいました。手術は大幅に伸びて当初2時間の予定が4時間となり、その後この日の予定が大幅に遅れ後の手術に混乱を起こしたようです。
 手術は局所麻酔で器具を眼球内に挿入し、硝子体手術と網膜剥離の手術がおこなわれました。網膜の剥離部分は器具で押さえているようでした。眼球に穴をあ001.JPG け器具を押入する時は麻酔が効いていて圧迫感を感じるだけで痛みはありません。しかし網膜を圧迫する時が想像を絶する激痛です。網膜まで麻酔が聞かないのでしょうか。最後にSF6ガスを注入して、手術が終わると全身汗でびっしょり、局所麻酔なので意識は朦朧としているが有ります。これから二週間はうつ伏せに寝てガスで網膜を押さえます。

 ● 入院中は何回か教授回診があり、診察室で医師、看護師長が立会、研修医、学生に教育するために治療や病状について説明が行われます。この日、看護師さん達は緊張した面持ちで「今日は教授回診です」と患者への事前説明に大変です。これが眼科での教授回診かと思いました。患者には一言二言声をかけるだけです。

 6/29 16:30手術開始
 前回の手術で出血は止まらず、2回目の手術開始 網膜の着床がうまくいかず再手術を行うことになりました。網膜が一部浮いてしっかり張り付かなかったようです。
 大手術だったようで「よく頑張りましたね」と先生の声もうつろに聞こえる。 時間も遅く夜9時を過ぎて今日は病室に戻らず、個室に運ばれてぐったりしている自分を看護師さんが体を拭いてくれて下着まで交換してくれました。局所麻酔なので意識は朦朧としているが有ります。時間も遅く夕食を食べる元気も無くあえなくダウン。
 この後の二週間、辛いうつ伏せの姿勢で寝なければならない試練が待っています。 しかし我慢の結果は‥‥不合格(涙も出ず)  

 3回目は一、二回の連続した手術のあまりの激痛にさすがに中止を考えました。手術の結果も視力の回復が期待出来ず、歳が年でまだ右眼に視力が残っているからです。しかし妻の逆鱗に触れ、結局三回目の手術を受けることにしました。
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 ●市大病院では入院患者の為に院内コンサートが病院五階の講堂で開催されました。
 7月5日は七夕コンサート市大医学部のオーケストラ部の演奏があり、
 7月20日には相愛大学のサクソファンアンサンブルのコンサートがありました。
 これらの演奏会は不安な入院生活に一時心が癒されます。

 7/12 18:30手術開始
 三回目の手術後は硝子体内にシリコンオイルを入れ網膜の着床を待ち、年明けに再入院オイルを抜いて頂く事にしました。
 同じ手術を3回もすると慣れたもので、病室からは担当の看護師さんと車椅子で4Fの手術室へ自動ドアで中に入るとひんやりとした廊下には部屋が並び反対側にはストレッチャーが整然と並んでいる。10番と書かれた眼科の手術室に足でロックを踏むとドアが開き中に入る。ここで病棟の看護師から手術室の看護師に引き継が行われる。手術室の看護師は病院でもエキスパートだそうで、その上眼科の患者の間で評判の美人看護師さん、心拍数が一度に上がる。「よろしくお願いします」 ここ迄は順調である。引き続き自動ドアを開けて中に入ると手術室である。
 既に医師、看護師が数人並んで迎えてくれる。車椅子から手術台に移動して寝ると体は固定され、直ぐにテキパキとパルスオキシメーターや血圧、心電図、脈拍等のモニタが体に接続されて身動きできなくなる。
 今回は一部網膜が付いていないと言うので簡単か思われたが‥‥。
剥がれた網膜を眼球に固定しているのだろうか、麻酔が効いているにも関わらず圧迫痛が走る。どのくらいの時間がたったのだろうか 「もう少しです、頑張って下さい」
 この言葉も何回聞いた事だろうか。断続的に網膜を押さえる時の痛さに「うめき声」が出る。「麻酔を追加します」 シーンと静まり返った部屋の中に先生同士の会話が朦朧とした意識の中に聞こえてくる。
 指に取り付けられたパルスオキシメーターが外れる。「大丈夫ですよ」 と優しい声。ベッドの横の鉄策が曲がらないかと思うくらい握る私の両手、その手の上から柔らかい看護師さんの手がそっと握ってくれる、何かホッとする。みんな無言である。「もうすぐ終わりですよ」と‥‥手術が終わって汗でぐっしょり。
 「お疲れさまでした」 と先生の声。終わっても首も固まって起き上がれない。看護師さんに支えてもらう、起き上がると吐き気がする。
 「しばらく休んでから」と看護師さん。落ち着いたので車椅子で手術室を出ると待機していた病棟の看護師さんに引き継がれた。手術室の前の廊下はシーンと静まり返っている。時間は夜8時を回っている、手術室に入ってから4時間経過していた。病室に戻ると夕食どころではない、痛み止めの薬を飲み、汗でぬれた下着を着替えてその場でバタンと寝てしまった。朝起きると昨日の痛さは何処えやら、朝食前に昨晩の妻からの差し入れの巻きずしを食べる。
 その後は出血もなく、網膜は落ち着いていると先生は言う。長い入院生活であった。

 今回は前回の二回と違って網膜を長期間しっかり押さえるためSF6ガスと違ってシリコンオイル入れた。これはガスと違って自然に抜けないので数か月後の1月入院で抜かなければならないという。スキーも登山も当分は禁止である。
 7/31 退院許可 市大病院での入院は45日間でした。退院証明書に傷病名は「増殖硝子体網膜症」と担当医師の名前が記入されています。

 2012年 1/19 シリコンオイル抜去の為二週間入院でした。
 
 結果、最終的に手術は上手くいかず、部分的にかすかに認識できる程度です。入院費は最初の掖済会病院での(58万円)、市大病院の6月分(153万円)、7月分(118万円)、あくる年の1月にシリコンオイル抜去の為(39万円)でした。国民健康保険は70歳以上1割負担で上限がありました。入院での高額な費用に驚き、国民健康保険には感謝です。

 以後、通院治療は行っていません。市大病院からは見放され最初の眼科医院で一年に一度検診して目薬プラノプロフェン(炎症)、ヒアルロン酸NA(角膜保護)、ソフティア(ビタミンB12)の点眼薬 を頂いています。右眼は異状なく白内障が少し進行しています。しかし医院では白内障治療には慎重(左眼が見えないので!)です。
糖尿病、その他特に持病(前立腺がん以外)も無く、今のところ元気です。 
 現在は82歳後半です。記憶、理解力、行動力の低下は感じます。

 ● やっと11年経過して闘病記を書く気になりました。眼が見えないことにはショックでしたが慣れてくると片眼でも生活には不便を感じなくなりました。
パソコンも使えますが、ハード面でドライバーや半田ゴテを使う作業は不可能です。ショックは読書が出来ない事、自転車に乗れない事、美術館はうす暗いので目が疲れます。スキーも禁止になりました。自動車免許は更新を機会に自主返上しました。自家用操縦士・航空無線通信士の資格は終身証明なので大事に所持しています。しかし身体検査(視力)がパスしないので操縦できません。低登山・ハイキングだけはかろうじて続けています。

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