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◆金胎寺山・腰神神社【234】
 

平成29年1月31日

ハイク登山 エッセイ 旅行日記 短編小説 詩(poem) スキー紀行 写  真
● 近鉄長野線=汐ノ宮駅〜腰神神社〜金胎寺山 往・片道2.1q(2017.01.31)

 金胎寺山(こんたいじさん)に歩いてきました。登山というよりハイキング感覚で道標もしっかりしていて距離も短く30分くらい、少し急登があったが安心して登れます。
 金胎寺山(城山)は大阪府富田林市の最高峰の山で市の南部に位置し石川(大和川の支流)の東にある。
 千早赤阪村にも隣接し、楠木正成が鎌倉幕府と戦うため築城した城址、遺跡が点在しており、ここ金胎寺山の山頂にはかつて金胎寺城が南北朝時代の元弘三年(1333年)に築城され、楠木七城の一つとして数えられる山城跡です。通称「城山」とも呼ばれています。また北側1.4qの嶽山(278m)にも山城跡の嶽山城址もあります。
 
 近鉄南大阪線で阿部野橋駅から準急で古市駅から河内長野方面、汐ノ宮駅に下車します。 前回はこの駅から願昭寺、嶽山、日本三不動の一つ滝谷不動尊に歩きましたが、歩き残していたこの山を歩いてきました。
 
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 駅舎を出ると正面の道を山の方に歩きます。正面、山の上に願昭寺の五重塔が見える。石川の橋を渡り、金胎寺山には突き当りの道を右に歩きます。
 
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 002.JPG やがて山側に腰神神社があります。楠木正成が腰を痛めた馬を神社の藤の木の幹に繋ぎ、ご神体の岩山に祈願したところ馬の腰が直ったことが「腰神」の由来という、樹齢700年あまりの藤の老木がある。
 
003.JPG ここから300mほど進むと左に金胎寺山登山道案内板があり、ここから道標に従って山頂に歩きます。嬉地区の集落を抜けるとイノシシ除けの柵があり、入口にはイノシシ除けの携帯の鈴が用意されています。帰りに元の位置に戻して下さい。
 ここから頂上までは約30分とあります。(自分は戻る予定で無かったので鈴は拝借しませんでした)

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 すぐに大門跡、金胎寺を含む寺群の入口で大門の有った所です。イノシシの捕獲用の檻が設置されています。竹林の道を歩きコースの中間あたりに、馬返し、楠木軍兵舎跡と続き、やがて雑木林になり急な登りを過ぎると展望台があります。もう5分ほどで頂上です。
 
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 金胎寺山 三等三角点(点名:嬉 標高296.1m)からの眺望は素晴らしく富田林の郊外から遠くは西北に堺市、北にPLの白い塔、東に葛城山、金剛山地と見渡せます。
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 山頂には自分(77歳)より年配の3人の方がいらっしゃいました。写真をお互いに撮り、昼食を共にする。 皆さんはこのまま元の道を下山して願昭寺からオレンジ園方面に歩くという。
 
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 ここから先は、自分一人で山を越えて願昭寺に歩く予定でしたが登山途中下山してくる人に聞くと急峻な崖を降りると歩けるのですが途中で私有地の通行禁止の札と柵がして、入れないようにしてあったので途中まで下りたが戻ってきたという。

008.JPG  昼食後に見下ろすとオレンジ園の建物が小さく見えていて歩けそうです。崖の所には一本のトラロープが張ってあります。足元は落ち葉が積もり急峻な下りです。試しに一人で降りようかと思ったが、先の登山者が引き返したという、この崖を見ると独りで降りて登り返すのが嫌で止めました。(山頂に通行禁止の札を掲示しておくべきです、それにあのトラロープは何なのでしょうかね)
 
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 結局3人連れの方たちと一緒に元の道を下山します。麓には車で来られており、一緒しないかと誘われ願昭寺まで乗せて頂きました。
 ここから別行動で願昭寺境内の写真を撮ってから石川沿いに歩きました。
 
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  関連ページ(大阪・富田林) →嶽山城跡・滝谷不動尊【203】
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