二上山は二つの山頂からなる双耳峰、美しい山容は大阪から奈良からも眺められ古代から万葉集にも度々登場します。この歴史と自然に包まれたルートを標高517mの雄岳、473.9mの雌岳、標高差400mあまり、距離約9qを69才の年齢差の孫と二人で歩いてきました。
登山ルートは二上山駅から雄岳、そして雌岳、当麻寺駅に歩きます。他に二上神社口駅、当麻寺駅、磐城駅もあります。大阪側からのルートは上ノ太子駅から穴虫峠を経て屯鶴峯の入口にあるダイトレの起点からも歩けます。ダイトレの石碑があります。(近鉄南大阪線)
改札を出ると踏切から西に住宅の中を歩きます。専称寺を経て国道165号のバイパスを渡るとすぐに二上山登山口です。左に大きな池があります。ゆるやかな登り道です。やがて道が左右に分かれています。どちらも雄岳に登れますが孫と年寄り、ゆるやかな方を選んで左に歩きます。
更に進むとベンチがあり直進と左に道が分かれています。標識がある。直進は緩やかな階段、左は急な階段の登りで一気に尾根に出ます。
今日は丸太の急階段を登りきるとベンチがありここで休憩、孫のおやつタイム。左に歩くと国土地理院の四等三角点(標高266.4m、点名:瀧坪)がある。深い雑草が生い茂っているので孫には無理と考えて、ここは右に尾根道を歩きます。やがて左から二上神社口からの登山道が合流、更に進むとベンチが左右にあり右手から先ほど分かれた登山道からの道が合流します。どちらを歩いても時間はあまり変わりません。
ここは多くの登山者が休憩していきます。この先道が少し急な登りになります。孫は元気に先を歩いています、こちらは息切れします。一年一年足が弱ってきます、来年は‥‥80歳まで歩けるだろうか。やがて鉄梯子を上り、しばらく歩くと左に岩橋山が見えます。もう少しです、最後の急階段を登り、T字路を右に少し寄り道をします。
ここに宮内庁管理の二上山墓がある。天武天皇の皇子である大津皇子の墓と言われている。
大津皇子は天武天皇の崩御の後、皇位継承権をめぐり謀反の疑いで捕らえられ処刑された。万葉集には大津皇子に関する歌が多く記載されており、その中には二上山に関する歌がある。大来皇女(母・太田皇女の姉)が詠んだ歌
「うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む」 二上山は大津皇子の哀史を秘めた山である。
元に戻り少し先には葛城坐二上神社、その境内に雄岳山頂(517m)がある。あまり広くなく昼食は雌岳山頂で食べることにする。
雄岳から雌岳には急な下りの階段が続く、下った所が馬の背でトイレも休憩用のベンチもある。
雌岳には上り返して10分ほどで広々とした山頂に、中央の広場には大きな日時計があります。その横には国土地理院の測量用三角点 雌岳山頂(三等三角点
点名:女岳)がある。此処は府県境で東側には藤原京跡、天の香具山など大和三山が見渡せる。反対側の西には大阪の泉南から大阪湾が望めます。
多くの人が満開の桜花の下にそれどれに昼食・休憩をしている。春休みで小中学生も多く、ここは雌岳の麓には国道184号線(竹内街道)沿いに駐車場があり、広いゆるやかな登りで山頂に至る。標高差は約250mである。
下山は當麻寺方面下る岩屋峠には距離は短いが急な下りで階段も多い、孫の事を考えて遠回りであるが馬の背まで戻り雌岳の周りを巻くようにして広い舗装された道を歩く、10分で岩屋峠に。ここから少し降りた所に石窟寺院の跡、岩屋がある。ここで當麻寺の尼僧となった中将姫がハスの茎で一夜の中に織ったと言われる伝説の當麻曼荼羅がある。(現在は當麻寺西塔に安置されている)
岩屋の近くには台風で倒れた樹齢600年の岩屋杉が横たわっている。
見学後岩屋峠に戻り、東に祐泉寺方面に歩く、竹内街道の間道でこの岩屋峠を越える道を聖徳太子が開いたと伝えられている。大きな岩がごろごろする道であるが孫は楽しそうに歩いている、シニアの自分は足元に注意しながら遅れをとっている。途中、二上山の岩清水が湧いている。手を洗い冷水にのどを潤す。「冷たくて美味しいね」と大喜び。自販機の水よりこの冷たさは美味い。飲みすぎないようにと注意。
やがて祐泉寺、ここで馬の背からの下山道が合流する。この寺の秋の紅葉は素晴らしい。
ここからは舗装された車道の下り道で當麻寺に続く。釣り堀を過ぎ平地に出ると左に綺麗に整備された鳥谷口古墳、昭和58年に新しく発掘され、ここが大津皇子の墓ではないかと言われている。周りには桜の木が植えられいま満開である。
大池の周りを過ぎると一本柱を中心に方形造の屋根がのる珍しい形の建物で、その全体的な形が唐傘に似ていることから傘堂と呼ばれています。
次に當麻寺山門の近くに中将姫のお墓があります。やがて東大門お前から参道が近鉄当摩寺駅にまっすぐ続きます。小学生の孫は全く疲れ知らず、やはり年と共に足が弱くなっていく今日この頃である。