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高安山〜朝護孫子寺【291】

令和3年10月5日(火)
ハイク登山 エッセイ 旅行日記 短編小説 詩・短歌 スキー紀行 写  真
● 恩地神社、高安山、信貴山鉄道跡、朝護孫子寺、東信貴山鋼索線跡(Oct.2021)

 大阪・高安山から信貴山鉄道跡、朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)、東信貴山ケーブル跡を訪ね歩いてきました。
 高安山には近鉄大阪線・恩地駅(おんじ)で下車、東に高安山を目指して舗装された緩やかな登り道を歩きます。 やがて由緒ある府社恩地神社の鳥居が眼に入る。

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 手前の国道(170号)を渡ると石標に左右に東高野街道とある。 (京都八幡市から河内の国の東部を河内長野市に続く古代の道路、高野山詣での参拝道として賑わった)

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  鳥居をくぐり神社・民家の風情を忍びながら歩きます。
やがて左右に石灯篭が、ここから急な登り階段が続きます。(左に巻道もあります)
  
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 一度に高度が上がります。神社にお参りしてから拝殿の横から閼伽井戸(清明水)、そして良く整備された道路に出ます。 昔は信貴山詣でで賑わった恩地街道です。

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004.JPG 地元の年配の人が数人ボランティアで道の手入れをしています。
 ご苦労さん、声をかけて、しばし土地の情報を聞きます。 
 さらに、しばらく歩くと二人の年配の女性は四阿で休憩しています。
 運動がてら、のどか村を往復されるそうです。 005.JPG

 自分は途中から高安山への登山道を歩く予定です。

 10:15 直ぐに左に高安山への標識がありました。 雑草に覆われた細い登山道です。
 急な登り道ですがはっきりと視認できます。 やがて展望台に八尾市街が見渡されるベンチがあり、ここでしばし休憩します。

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 007.JPG ここからはつづら折りの単調な登山道が続きます。 展望台から60分程で信貴山公園墓地の西側道路(自然歩道)に出ました。 舗装された道路が近鉄・西信貴ケーブル(鋼索線)の高安山駅まで続きます。

 11:30 駅舎横の階段を登った所に展望台があり、此処で昼食にします。
 (ケーブルで登山する場合は大阪八尾市の近鉄信貴線の信貴山口駅から西信貴山ケーブルカーで高安山駅に10分です)

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 此処、西信貴ケーブルの高安山駅には信貴山への接続駅としてかつての信貴山急行電鉄(山上線)のホーム跡(1944年休止・廃線)があります。 この路線は大阪から信貴山朝護孫子寺への最短ルートとして高安山駅から信貴山門駅まで山上に平坦線2.1kmの鉄道を1930年に開通・営業を開始しました。 途中駅は無く当事、車両は3両のみでした。後に転落事故で1両は失います。 その後、第二次世界大戦で営業を休止、1957年に山上線の路線は自動車専用道路として路線バスが運行、現在に至っています。

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● 参考 1930年(昭和5年)12月15日、信貴山電鉄(のちに信貴山急行電鉄と改称、1944年当社に合併)により大阪から信貴山への最短ルートとして、信貴山口駅〜高安山駅の鋼索線(1.3km)と高安山〜信貴山門駅の山上鉄道線(2.1km)を同時に開業しました。第二次大戦中に営業を休止しましたが、1957年に(昭和32年)に鋼索線は当社西信貴鋼索線として営業を再開、山上鉄道線は自動車専用道路に改修し、路線バスによる運航となりました。開業当時、山上鉄道線ホームは『コ』の字型でしたが現在は片側のホーム跡が残っています。  信貴山電鉄 ホームの案内板より
 次に高安山山頂に歩きます。 途中、短い鉄の橋があり、この下を左に西信貴ケーブルと平行して下山道があります。 以前は結構荒れていましたが最近整備されているようです。

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 000-1.JPGやがて大阪管区気象台レーダー観測所を過ぎ170m、小屋のある四辻の左側の金網の柵が切れた所に山頂への案内がある。 右側には近畿自然報道の標識があります。 
 ここから登ろうとする雑木に覆われた急斜面で落ち葉が積もり踏み跡も定かではありません。 距離は短いが難易度が上がります。ここを上った所が三角点です。季節からか藪に覆われ歩きにくい。
 12:00 適当に急坂登って三角点に到着。 高安山(487.5m)山頂(二等三角点 点名:峰山)。草刈りがされておらず草ぼうぼうです。 写真を撮って早々に引き返します。 降りようとしましたが踏み跡が分らず急な斜面の雑木の間を踏み跡さがしてぐるぐる歩き回りました。 何回か登っているが今回が一番歩き難かった。

 高安山から弁財天滝に歩きます。 しかし足に故障が!エスケープの選択コースはたくさんあります。 このまま歩いてもバス停まで2qあまりです。 しかし歳は(81〜)です、大事を取って西信貴ケーブルカーの高安山駅まで引き返し、足の調子を見て信貴山急行電鉄(山上線)廃線跡を探索します。
 高安山駅まで戻ると下山のケーブルカー、信貴山口行の13:45 発車(600円)、駅員さんがアナウンスしています。 両手で×の合図をします、乗客は誰もいないようです。

 ここから山上線廃線跡の道路は自動車専用で歩行禁止です。 バスは15分後の14:00に発車します、乗客は自分が一人です。 高安山から信貴山までバスで当時の信貴山急行電鉄(山上線)路線を忍びます。 途中に路線唯一の短いトンネルを抜けると信貴山西に到着です、乗車時間は7分で250円です。 山上線の駅舎跡は広い駐車場があるだけで鉄道跡の面影はありません。

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 此処からは赤い開運橋を渡り朝護孫子寺に歩きます。 その手前から左前方の山頂付近に朱色の空鉢護法堂が望めます。

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 開運橋は朝護孫子寺の参道で全長106m鮮やかな朱塗りで、欄干には信貴山のシンボルである寅のイラストが。 013.JPG 橋は珍しい形式の橋でトレッスル橋脚を用いたカンチレバー橋で国の登録有形文化財に選定されています。
 橋を渡ると左に毘沙門天を祀る信貴山 朝護孫子寺です、橋の袂には観光センターがあります。 今回はお参りをパスします。
 右に参道を600m程歩くと1983年(昭和58年)9月1日に廃止になった近畿日本鉄道・東信貴鋼索線の信貴山駅で現在は信貴山バス停(奈良交通バス)です。

 嘗て奈良県三郷町の東信貴ケーブル(鋼索線)の旧信貴山駅舎跡で現在は広々としたスペースの待合所とバスのターミナルになっています。
 東信貴ケーブルは西信貴ケーブルより開業は8年古く1922年(大正11年) に信貴生駒電気鉄道が信貴山下駅(しぎさんした)から信貴山駅まで(1.7q)を開通その後1964年近畿日本鉄道に合併、1983年(昭和58年)に路線が廃止された。
 今回は廃線跡のコースを歩く予定でしたが、やはり足がつり断念します。 軌道跡はゆるやかな下りのコースで、途中までは800m程の遊歩道そして後は約900mの舗装された車道になっています。

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 15:20 バスは9分(260円)の乗車時間で近鉄生駒線・信貴山下駅に到着しました。
 信貴山下駅前の広場にはかつての車両:コ9形(赤色塗装)が展示されています。
 関連ページ →
  高安山〜信貴山【236】(恩智越えルート)
  信貴山〜高安山【135】(朝護孫子寺、信貴山、高安山)
 
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