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      〇 パイロット免許合格までの操縦訓練体験記

      A自家用操縦士免許・・・実技試験

     パイロット免許合格までの操縦訓練体験記です。 ・・・・いよいよ航空局の試験官による実技試験を受ける時期が来ました。
    これまでの飛行時間は80時間丁度。(受験資格80時間以上) 午前中は口頭と空中操作の飛行試験が一時間足らずで終わり、空中操作や離着陸も無難に操縦して合格しました。
     
     午後からは航法試験、飛行経路は八尾、柘植、彦根、大津、八尾。昼食もそこそこに空港内の気象台で気象データを入手、計算盤で飛行径路の計算、フライトプラン(飛行計画)の作成、そして2時間程度の飛行です。PIPER.JPG 

     左側の機長席には緊張した私、隣に航空局のO試験官、後部座席にK教官と3人が同乗して離陸。 途中は天候もよく順調でしたが、目的の折り返し地点、柘植は足元に雲が一面に、所々に足元の山、川が見えるものの目標地点が視認できず、少し不安でしたが飛行時間、風の風向、風速から機体の位置を計算、目標地点通過を報告して旋回しました。琵琶湖が見え彦根で予定時刻に旋回、大津を過ぎた地点で突然試験官が着陸空港を変更、大阪空港(伊丹)を指示されました。
     当時は申請すれば軽飛行機でも着陸許可がおり、私も滑走路の端にあった新明和工業に整備士の方と飛行機の部品を受け取りに何回か離着陸したことがありました。 

     大阪タワーの周波数に(118.1MHz)切り替えて着陸許可を管制塔に求めた段階で試験官が操縦を交代します。 聞くと今回の試験の前にはサンフランシスコでJALの旅客機での試験を、そして日本に帰国したばかりで久しぶりの軽飛行機の操縦とか。試験官の模範着陸を見せて頂きます。 
     セスナ機にとっては大阪空港は長すぎる滑走路、滑走路中程にある管制塔(旧管制塔)を右に見ながら過ぎても接地せずにそのままローパス、そして見事な着地。航空局の建物が滑走路の一番端にあるからです。 着陸して旅客機でも経験されるように長い誘導路を走るとスピードも出せず小型機にとっては時間がかかるからでしょう。 
     又、八尾空港に着陸すると試験官は大阪空港まで戻らなければならないので直行したようです。駐機場でエンジンを停止後、飛行機から降りると少し離れたところで教官と雑談? 私は飛行後の機体を点検、これも試験の内です。

     飛行後の点検報告をすると試験官の訓辞がありました。自家用パイロットとして安全飛行を第一に無理な飛行をしないようにとの話がありました。
     試験官が立ち去ると教官からは「合格おめでとう」と一言。  「さあ八尾空港に帰りましょう」、 もう今から一人前のパイロットだよと教官は後部座席に、うれしさがぐ〜んとこみ上げてきました。(昭和43年6月19日) 

    IMAGE0003-1.JPG なが〜い、長い大阪国際空港(伊丹)の滑走路を独り占めにして悠々と離陸しました。試験官がフライトプランの変更を前もって無線で報告、管制官も実技試験の事を知っていたのでしょうか、ゆっくりと離陸。この頃から大阪国際空港はジェット機の離着陸が多く軽飛行機の着陸許可が下りなくなりました。(昭和45年B滑走路供用開始) 

     滑走路を北西(Runway 32)を離陸して左旋回、戦前の鳴尾飛行場跡を見ながら通過(今は影も形もなく住宅になっている)、大阪湾を低空で東に、眼下に多くの船が行き交い、その中にひときわ目立つのはサンフラワー丸。デッキにいる人々が手を振っているのがはっきりと見えます。 
     左右に大阪港の船舶用灯台を見て私も入港……、その後上昇しながら右旋回、いつも訓練していた大阪南港を目指し(今は関西空港国際空港の為規制されている)、八尾管制と連絡を取りつつ、いつもの進入コースを飛行。 PA-28.JPG - 94,046BYTES

     初めての飛行から丁度二年目の暑い夏の盛りでした。  その後三等航空通信士(平成6年の航空法改正で現在は航空通信士…技能証明書のみに一本化、しかも電波法の航空無線通信士があれば必要としない名目だけの国際免許?)にも合格 これで操縦士技能証明通信士技能証明航空無線通信士(電波法)と揃い(いずれも終身証明書)、後は航空身体検査証(航空免状)の更新だけです。

    001.JPG  飛行操縦訓練は主に高翼のセスナ機(Cessna172)で練習、免許取得後は低翼のパイパー(Piper PA28-140)によく乗りました。 安定が良く、操縦の切れが気に入りました。 他には尾輪式のセスナ(Cessna170)、パイパースーパーカブ (Piper PA18-150)…JA3103、 非常に遅く向かい風が強いと対地速度が遅く、前に進まずに管制塔からは早く滑走路を明けるようにと催促されたモランソルニエ (Morane Saulnier MS880B)…JA3239,JA3237、曲技飛行も出来る国産唯一富士重工のエアロスバル(FA200)…JA3422、今は……。 

     懐かしいのは自衛隊が管理する大津飛行場です。 舗装がされておらず滑走路横に並んで長屋が建っていました。 滑走路も短くブレーキを踏んでエンジンを全開一気に加速して離陸しました。 本当の昔のヒコー場といった感じでした。  

     今は昔の白浜空港(当時は開港したばかり)は山の上にあり滑走路両端が断崖になっていて丁度航空母艦に着艦するようでスリルがあり、八尾から近くでもあり時々遊びに行きました。しかし風がよく巻くので危険で現在は滑走路が変わったようです。 広島空港(現在は広島西空港)も川の土手沿いにあり、上空からすぐ視認できましたが移転して、現在の広島空港は(三原市)にあります。

     又思い出に残るのは朝日新聞主催の全日本エアーレースで八尾から浜松飛行場で定点に物資投下、桶川飛行場までのレースに参加したことです。 その後調布空港に飛びました。成績は今ひとつでしたが明くる日の新聞に結果が載っていました。FA-200.JPG 
     ヒコーキ酔いもここまで来るとほとんど無くなりました。 しかし安心して体験訓練で曲技飛行、ループ(宙返り)やロール(横転)をするとやはり気分が悪くなりました。 今のローラーコースター乗る人は酔わないんでしょうかね。 地に足がついているからでしょうか。

     現在は75歳視力検査の結果、航空身体検査証も取得出来ずに操縦できません。 もう一度あの青空を一人で飛んでみたい、旅客機の窓から大空を見るたびに誘惑に駆られます。今年、自動車の運転免許証も自主返納しました。

     1997年1月にはアメリカのヘブンリースキーリゾートに行った時、タホ湖(Lake Tahoe)の南にあるタホ空港(Lake Tahoe Airport)にタクシーで行きセスナ機をチャーター、ヨセミテ国立公園の渓谷を空から観光、久しぶりの飛行を楽しみました。自分の滑ったヘブンリーバレーのスキーコースを上空から余すところ無く見ることが出来て感激でいっぱいでした。

     ■技能証明の資格・種類・限定

     自家用操縦士
    の他に事業用操縦士、定期運送用操縦士、航空整備士、航空運航整備士・・・・等と資格が有ります。
    また航空機の種類に飛行機、回転翼航空機、滑空機、飛行船と限定されていて、更に自家用操縦士においては単発機、多発機等の等級があります。
     私の自家用操縦士技能証明書の限定事項は種類:飛行機、等級:陸上単発になっています。
    (戻…学科試験) パイロット免許取得記-@

    (大阪・八尾空港は大阪飛行クラブ(現、大阪航空)でパイロット免許を取る為に、操縦訓練した懐かしい空港です。)
     
     関連記事 →八尾空港【76】 大津飛行場【e10】 琵琶湖遊覧【e6】 ゼロ戦・セスナ【n1】

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