スキー紀行・・・ オモイツクママ




  ◆ 私のスキー事始め 【s2】


     サンケイバレースキー場

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 ☆ 旧サンケイバレースキー場


 スキーを始めたのは昭和41年の冬、友人に誘われてサンケイバレースキー場(びわ湖バレースキー場)に行ったのが初めてでした。大阪から非常に近いと言うことで話題になりました。 スキー場が出来た年は世界初めてと言われたカーレーターがよく故障して問題にもなりました。001.JPGこれはベルトコンベアーの上に座席が置かれこれに座って山上に運ばれるものです。トンネル状になっていてじっと座って20分余り、ゴムベルトの下にローラーが廻っていてゴトゴトと振動し、上からは冷たい風が吹き下ろしてきて非常に寒かったのを覚えています。 今は廃止になって横にゴンドラが出来てこれで一気に山上まで運んでくれます。(現在国内で唯一、稼働中と言われるカーレーターは神戸・須磨浦山上遊園にあります。登山中何回か歩いていますが火曜日は定休のようです。) 

 このスキー場が昭和40年(1965年)オープンして2年目の、とある休みの火曜日に初めてのスキーに行きました。長く、重たいスキー板を抱えて真白い雪の積もったゲレンデに立った時、どんよりと曇った空、そして冷たい風に身震いがしました。友人に教えられスキーの板を履き、恐る恐る滑ったのが、転んだのがそんなに遠い昔とは思われません。 最初のスキーはやはり天気の良いコンデションに恵まれた日、そして良い同行者を選ぶのがベストで、これが今後スキーを続けられるか、どうかの分かれ目になるようです。友達の中にも続かなかった人が多いです。 

 私の場合は最悪のコンデションでした。昼からになると友人達は颯爽と滑って行き1人残されて黙々と滑っては転び悪戦苦闘、その内雪までちらほら。3時を過ぎてもみんな戻ってきません。周りを見ると同じように1人残された人が、話しかけてみるとやはり友達と、初めてのスキーとのこと。真っ白いスキー帽を被り、笑うとこの冷たい雪も溶かしてしまうほど、とても可愛い女の子でした。滑り方を教えてあげることも出来ずしばらく一緒に転んだり、滑ったりしていましたが、その内彼女の友達が戻ってきて帰り支度を始めました。
 今用の携帯もなく、名前も聞くことなく短い会話の後、こちらを振り返りながら先に下山していきました。 

 この後、火曜日になると、このスキー場に淡い期待を描きながら・・・・・・シーズンも終わり、002.JPG 明くる年も、その内だんだんと滑れるようになり、スキーに興味を引かれるようになると、何時しか彼女のことも忘れ。でもこのスキー場のことを思い出す度に今でも当時のことが懐かしくはっきりと思い出されます。この出会いがなかったら今まで趣味の一つとしてスキー歴40年近く、海外にまで6カ国、十数回も続いていたであろうか。
 
 そして私のスキー歴も・・・・・・ぜひ最後はこの思い出深いスキー場で閉じたいと思います。


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